- 2007.06.01 Friday
大人と絵本
子どもは、感覚的に絵本を捉えることができます。
ですから、大人とは興味の場所、感動の場所が違うようです。
大人は、子どものような絵本の読み方は、もうできません。
大人が絵本を楽しむためには、いろいろな定義づけや理屈が
必要になってきます。絵本のテーマはとか、絵とお話が合っていないとか
ジェンダーがどうとか、絵本を読んで、いろいろなことを考えます。
それは、つまらない読み方なので、子どものように、ただ感覚的に
楽しいと思えれば良いのになぁと思います。
唯一、子どもと大人が気持ちを通い合わせることができるのが
絵本の世界だと思います。そして、そこでの主役は、子どもたちです。
大人が、何これ?と思うような世界を、見事に受け入れ、質の良い絵本を
育てているのは、大人ではなく、間違いなく子どもたちです。
大人は子どもの感動の仕方を見て、へぇーおもしろいんだなぁと思った後も
なぜおもしろいのかと理屈を考えはじめます。
理屈など存在しないのと同じです。感覚とはそんなものです。
ただおもしろいことだけが素晴らしいと思えないことが、悲しいかぎりです。
でも、絵本を作っているのは大人だと思うと、子ども感覚の大人もいるような
気がします。
先日、絵本作家、荒井良二さんがテレビ(誰ピカ)に出て、
「子どものように描きたい」と話していました。
大人は努力して子どもに近づこうとしています。
子どものために一生懸命に大人が作る、大人が子どもの気持ちになって
作るというところに、絵本のおもしろさがあるように思います。
キーピングやブリッグズの作品など、大人が考えさせられるような、
子ども、大人を意識しない、年齢のボーダレス化をはかった絵本もありますが
やはり、子どもを読者として作られ、子どもに受け入れられ、たくさんの
子どもたちに支持されることが、絵本としての醍醐味にあふれているような
気がします。
ですから、大人とは興味の場所、感動の場所が違うようです。
大人は、子どものような絵本の読み方は、もうできません。
大人が絵本を楽しむためには、いろいろな定義づけや理屈が
必要になってきます。絵本のテーマはとか、絵とお話が合っていないとか
ジェンダーがどうとか、絵本を読んで、いろいろなことを考えます。
それは、つまらない読み方なので、子どものように、ただ感覚的に
楽しいと思えれば良いのになぁと思います。
唯一、子どもと大人が気持ちを通い合わせることができるのが
絵本の世界だと思います。そして、そこでの主役は、子どもたちです。
大人が、何これ?と思うような世界を、見事に受け入れ、質の良い絵本を
育てているのは、大人ではなく、間違いなく子どもたちです。
大人は子どもの感動の仕方を見て、へぇーおもしろいんだなぁと思った後も
なぜおもしろいのかと理屈を考えはじめます。
理屈など存在しないのと同じです。感覚とはそんなものです。
ただおもしろいことだけが素晴らしいと思えないことが、悲しいかぎりです。
でも、絵本を作っているのは大人だと思うと、子ども感覚の大人もいるような
気がします。
先日、絵本作家、荒井良二さんがテレビ(誰ピカ)に出て、
「子どものように描きたい」と話していました。
大人は努力して子どもに近づこうとしています。
子どものために一生懸命に大人が作る、大人が子どもの気持ちになって
作るというところに、絵本のおもしろさがあるように思います。
キーピングやブリッグズの作品など、大人が考えさせられるような、
子ども、大人を意識しない、年齢のボーダレス化をはかった絵本もありますが
やはり、子どもを読者として作られ、子どもに受け入れられ、たくさんの
子どもたちに支持されることが、絵本としての醍醐味にあふれているような
気がします。